私、岩崎 梓の大好きな美しいもの、心ときめく音楽。美味しかったもの。 etc...写真を撮りながら気ままにご紹介。よろしくね。


by 岩崎 梓
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリ:book( 4 )

a0222263_19525674.jpg

























お片づけ真っ最中。
春頃に友人から、流行のこんまりさんのお片づけ術
「人生がときめく片付けの魔法」を教えてもらって、「片付け祭り」を開始したのだが、夏の暑さに一時断念していたもの。
しばらく前から再開している。
アレルギーで手がめちゃ荒れやすいので、一度にたくさんは出来ない。手袋着用で地道にやるしかない。
いつかは終わるのだ。そのはず。。

こんまりさん流を知ってからというもの、お片づけに対するイメージがすっかり変わった。
「捨てるものを選ぶのではなく、手に取って心がときめくものだけに囲まれて生活する」
という基準で片付けて行くのだ。
なので、お片づけの作業そのものが楽しい。
自分は何が好きなのか?これを着て何をしたいのか?どこに行きたいのか?このビーズや糸やリボンで何を作りたいのか?
私の好みの世界って?
と思い切り自分の気持ちを聞いて大切にしてあげる訳だから、自分に対して、何ともいえない愛しい気持ちがわいてくる。
そして、自分の今の価値観、これからどんなことをして行きたいのか、そしてその時どんなものと一緒に生活して行きたいのか、
と根本的なことを自分に問うことになる。

逆に、すでに今の自分の気持ちや価値観にそぐわない品々は
まさに自分にぴったりこなくて、
なんとなく淀んだ気配やエネルギーが漂っていて、疲れもわいてくる。
よって、気持ちをなるべくフラットにしつつ集中して片付けて行く。
こんまりさんいわく「お片づけは自分と向き合う作業」というのがよくわかる。
音楽もかけず、ひとり静かにお洋服や持ち物を取り上げて仕分けてゆく。
これはもう、ほとんど瞑想と同じなのではないかと思う。

そのようにして、かれこれ半年くらいとぎれとぎれに地道に瞑想し続け、片付け続けているのだが、
ここのところ今までと違うなと思うのは、年末ゆえ世間全般に「年末のこの期間に片付けてさっぱりしようっ!!」
という雰囲気が満ち満ちていることだ。
世の中そのものが「片付け祭り」真っ最中なのだ。


しかし私はもとから、日常の中にハレの日とケの日を作って分けるのを好まない。
ウチは自営業ゆえ、ウィークデイとウィークエンドのメリハリすらあまりないし、
それより、ある日を「特別」にしてしまうと、じゃあそれ以外の日の立場がないじゃん。
どの日も大切にね。という気持ちになってしまう。
よって、クリスマスだの、年末年始だのいわゆる「ハレの日」を特別に取り上げて、どたばたするのは好まず。という訳だ。
なんだか、世の中の秩序に単にいちゃもんをつけているだけ感もあるのだが。。

それに、ある日を特別にしたから別の日が特別でなくなるというのは相対的な考え方で、
毎日を特別とすればいい訳なので、
ものは考えようというだけのことかも知れない。。

「不思議の国のアリス」のなかで、
「マッドハッター」がお茶会をするにあたり
「何でもない日おめでと〜!!」
と思い切りお茶をぶちまけて注ぎながら歌うのだが(ディズニーの絵本では)
子供のころ、この帽子屋とウサギが不気味で、こわい〜よ〜。とそのページを避けて読んだものだが、要はそんな気分だ。


しかし、本当に「なんでもない日」を大切に過ごしてきたのなら、この年末年始の盛り上がりとは距離を置き、
普段通りのペースで過ごすことに問題はないのだが、
未だ完了していない「片付け祭り」を思うと、主義には反するが、今は世の中の「ハレの日」ウェーヴに乗らずばなるまい。。
しかも、今年は色々なことがあったので、少しでも身辺を片付けさわやかに新年を迎えたいという気持ちが世の中にあまねく行き渡っているのがよく分かる。
私もそう思う。

そういえば、先日の月食のあと、日本では観測できなかったのだが、南半球で彗星が飛んだ日があったそうで、
その名も「ラヴジョイ彗星」というのだそうだ。
なんと素敵な名前。素敵だ。。
愛する人やものに囲まれ、喜びを与えて受け取る。。ラヴ&ジョイな来年にしよう!!


a0222263_195314100.jpg






















エプロンかけるとやる気がでます。。
[PR]
by leventmurmure | 2011-12-29 20:00 | book
a0222263_23165030.jpg



























最近いくつかの神社を訪れた。
お参りのツボを教わる機会があったので、実践してみたくて。。
といっても特別に難しいものではなく、ざっくり。。

まず、足の裏から息を吐き、そして吸い上げる。
呼吸にのって自分が地球の中心に繋がるまでゆっくりと繰り返す。
これでグラウンディングができる。
それから、頭を下げて、柏手を打つ。そこで普通はまた頭を下げて終わるのだが
その前にゆっくりと神社に祀られた神様のエネルギーをかんじる。というもの。。

数をこなすと、それぞれの神社のエネルギーの違いが分かって楽しい。。
という趣向なのでトライする。

先日のこと。
偶然通りかかった自由が丘にほど近い奥沢神社の鳥居をくぐった。
奥沢神社は割と小さな敷地が、立派な社殿と古木でぎっしり埋まっている感じで、鬱蒼とした木立の向こうの方に空が見える。
教わった通り、頭を下げてからパンパンッと柏手を打つ。
とたんに、頭のてっぺんから足の裏を通って、さ〜っと走り抜けるようなエネルギーを感じる。
ほとばしる滝のような、あるいは空を駆け巡る龍のような。
龍のことはよく知らないけれどなんとなくそんな感じ。。

以前、私の主治医の先生が寝る前に読む本として
ミヒャエル•エンデの「果てしない物語」を薦めて下さったことがある。
その頃私は、とても寝付きが悪くてほとほと困っていたのだが、
そういうときには細かく難しい話ではなく、
現実離れしたようなアドヴェンチャーが向いているとのことで
この童話を選んで下さったのだ。
その「はてしない物語」に幸いの竜フッフールという龍が出てくる。
少年アトレーユがファンタージェン国の君主「幼心の君」の病を治す術を求めて旅するのを、その背にのせて助ける龍だ。
陽気でめっぽう楽観的、のんびりしていながら勇気あるキャラクターで、
その声は青銅の鐘のよう、身体は真珠貝色のうろこにおおわれて輝いている。

奥沢神社とはかけ離れた世界なのだが、
目を閉じて「元気一杯」という感じの神社のエネルギーを味わっていたら、幸いの竜フッフールを思い出した。

境内を出て振り返ると、鳥居に藁で作られた長〜い龍が巻き付いていてびっくり。
あとで、調べたら大蛇らしいのだが、なんだか龍みたいだった。
来年は辰年。
龍のエネルギーが、うきうきと陽気にうねる「幸いの竜フッフール」のような楽しさを連れてきてくれますように!



a0222263_23172834.jpg
[PR]
by leventmurmure | 2011-12-25 23:20 | book

この世にパーレただ一人

a0222263_205636100.jpg






















今日の空はマットな薄いグレー。
外を見ても時間がよく分からない感じの空。お昼を過ぎても気温が上がる気配もなし。。
風もなく、空気が冷たくピンと張って静寂を守っている。

そわそわと不安がわいてくるような、ちょっと苦手な空模様を眺めていたら
ふと、思い出した童話。
「この世にパーレただ一人」というお話があった。ような気がする。。
子供の頃の気に入りの童話全集に入っていて、繰り返し読んでもらったはずだ。

早速検索してみると
シースゴールという北欧の作家の書いたお話だった。

主人公のパーレという男の子(自分に重ねていたらしく私の記憶の中では女の子だった)が、朝目覚めるとだーれもいない。
家の中にも外にも人も車もいない。
そこでパーレはしーんと静まり返った街に出かけて、この時とばかり普段できないことを片っ端からやって見る。
お店でお菓子を勝手に食べたり、車や飛行機を運転してみたり。。。
記憶が定かでないが、しかし、子供一人では日常生活はままならないのであった。
そこで、目が覚める。
みたいな軽い教訓付きのオチで終わったと思う。

しかし、私の心にくっきりと焼き付いているのは、そのストーリーではなくて、
パーレが一歩街に踏み出して行った時の不自然な静けさだ。
今日の空のようなちょっとぴりっとした緊張とおそらくは寒さ、
現実味のない不安がもやのようにわき起こってくる気配。
街なかというのに、何の物音もしないという不穏な空気が全編にうっすらと漂っている。

大人になってから、
ジョルジョ•デ•キリコの有名な「街の神秘と憂鬱」という絵をを初めて見た時、
あ〜これ、パーレの世界だ!!と驚いた。
誰もいない通りを女の子が輪っかを棒で回しながら走ってゆく後ろ姿が描かれた絵である。
絵画の方は、実際には日差しの陰影があって寒くもなさそうだし、南国風のアーチのある建物の向こうには人影も見えているから「ただ一人」ではない。
だが、あのしんとした無音無風の張りつめた空気は私の印象の中のパーレの世界にとても近かった。
人気のない通りに、女の子の回す輪っかの音がカラカラと響くかもしれないが、それもすぐに静寂の中に吸い込まれて消えてしまう。。
一人駆ける女の子がどこから来てどこへ行くのか、
一人遊びを楽しんでいるのか、その感情もよくわからない。
見慣れた現実が突然夢の世界にすり替わってしまったような不安感が、パーレの世界にぴったり重なるようだった。


a0222263_20551183.jpg



ちなみにこちらのブログで、このお話の感想を子供に聞いたお母さんのエピソードが面白かった。(検索中に発見)
こんなことが起きたらどうする?と尋ねると
女の子は、「お米を作ったりお裁縫をしたり、お仕事をする」
と答え、
男の子は、「お店からプラモデルをかっぱらってきて好きなだけ作る」
と答えたそうだ。
女の子の出来過ぎた答えはよく聞くと、幼稚園の先生と話し合った結果の答え、
男の子は「かっぱらう」と言う時に、「悪いことだけどいい?」と前置きして口ごもっていたのだそう。
可愛いですね〜。

それから、その記事に対するコメントも興味深かった。
「私はこの本を親にプレゼントされて深く深く傷つきました。自分はこれくらいわがままな人間だと思われていると知り、泣いた。」
というものだった。
これには、ちょっと驚いた。
幾つぐらいのとき、そんなにも傷ついたのかわからないが、
小さくても「自分はわがままなのかもしれない」という気持ちがすでにあったからこそ傷ついたのでしょうね?
ひとは一体幾つくらいから「自分はわがままなのかもしれない」なんてことを思い始めるのでしょう。

そして、自分の子供の時のことを振り返ってみると、
「パーレ」を読んでもらっては、なんとも言えぬ不安と寂しさにとらわれた私は
「何故、母はこんなに怖いお話を私に読んできかせて平気でいられるのだろう」と、軽い怒りを覚えたのをふと思い出した。
読んでとせがんでおきながら、聞いたらやっぱり怖かった。。のでしょう。
私の場合、逆ギレとは違うかもしれないけれど、少なくとも「わがままなのかもしれない。。」などとは思わなかったようで、ただわがままだったみたいですね。

私の中で、ちょっとシュールな印象の童話。でした。
[PR]
by leventmurmure | 2011-12-14 22:22 | book
a0222263_23141289.jpg
闘病もの?はちょっとヘビーそうなので、読んだことがない。
が、この本は私のイメージしていた闘病ものとはまったく違っていて、
その日のうちに夢中で読み終えてしまった。

私も20代の頃、著者と同じくステロイド剤を長期服用した経験から
ちょっと辛くて、読み飛ばさずにはいられない箇所もあったけれど。

患っている本人だけではなく、
周囲の家族や友人がそれぞれに複雑な心情であることや、
信頼する主治医に見守られていても、
誰にも立ち入れない、自分一人で引き受けなければならない領域があることに
ひとつずつ、著者の更紗さんが気づいて
心境が変化してゆくプロセスに
自分の体験も重なり、思わず深くうなずいた。

a0222263_2314338.jpg


更紗さんの文体は軽く、明るく、速くて
読み進むうち、涙が出たり、笑ったり。。
笑えるエピソードが入っているからではなくて
彼女が客観的に自分を観察しているから、
それこそ、彼女がこの体験をし尽くしているということで、
だから、読んでいても辛くならないのです。

そして、
サーフィンみたいに毎瞬、大きなエネルギーの流れにのっていくような
彼女の激しくも美しい生き方に触れると、
このストーリーが、
私自身のものでもあり、すべての人に共通のものであることに気づく。

私たちが更紗さんのなかにみた、命の輝きを
ふと自分のなかにかいま見る。

更紗さんも言ってます。


「今日も、みんなが、絶賛生存中」
       --「困ってるひと」大野更紗著 より--


人生、どんな時でも楽しんでいよう。
にっこり笑って行こう、
と思える一冊!!
でした。
a0222263_2323811.jpg
[PR]
by leventmurmure | 2011-09-10 11:00 | book